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矢島信男の若い頃と現在の顔画像は?経歴・学歴と作品についても

こんにちは!ヨウコママです。

先ほど残念な訃報が飛び込んできました。

多くのアニメを生み出した特撮監督の矢島信男さんが91歳でお亡くなりになったそうです。

 矢島信男さんの作品、スーパー戦隊・仮面ライダー・メタルヒーローシリーズなど、幼少期に見た方もおいのではないでしょうか?

今回は「矢島信男の若い頃と現在の顔画像は?経歴・学歴と作品についても」と題しまして、矢島信男さんの若い頃と現在の顔画像や経歴・学歴と作品についてなど、気になるところをまとめたいと思います。

ではさっそく、本題に入って行きましょう!

矢島信男の若い頃と現在の顔画像は?経歴・学歴や経歴についても

91歳でお亡くなりになった矢島信男さん。

矢島信男さんの出身や経歴、学歴について調べて見ました!

名前:矢島信男(やじまのぶお)
生年月日:1928年7月24日
出生地:埼玉県大宮市
職業:特撮監督
学歴:東京物理学校理化学科卒業

埼玉県大宮市出身の矢島信男監督。

1949年に東京物理学校理化学科を卒業し、松竹へと入社し、大船撮影所に配属されたそうです。
新入当時は編集から現像、直営館(浅草松竹)の窓口で切符のモギリに到るまで興行の流れを一通り体験。

それが後々のコスト感覚に優れた演出への貴重な礎となって行ったそうです。

そんな若い頃の矢島信男監督の若い頃の顔画像がこちらになります。

凛々しい感じで素敵ですね。

矢島信男監督は松竹に入社後、興行の流れを一通り経験し、劇場映画のカラー化に早くから興味を持ち、経験を重ねました。

その後、1959年には、松竹を退社し、東映へ移籍しています。

東映での第1作は『高度7000米 恐怖の四時間』で、その時の監督、小林恒夫監督とはその後も多くの作品を共有しています。

松竹の特撮との違いに当初は戸惑いもあったそうですが、のちに二通りの撮影を経験できたことで「いい経験になった」と言っているそうです。

矢島信男監督はポジティブで前向きな方だったのですね!

1965年、特撮研究所を設立。

ここからのちに矢島信男監督の代表作になる作品が数多く作られました。

ヒーローものや戦隊モノは男の子を中心に多くの人の心を動かしたようで、登場する怪獣の身体の一部(爪や角など)が飛び出してヒーローを攻撃するパターンには「身体の一部が飛ぶはずがない」と反発があったようです。

そうした声にもきちんと対応し、特撮の面白さや素晴らしさを広げてこられてのですね。

 

矢島信男監督の作品はウルトラマンや悪魔くん、仮面ライダーなど現在も多くの子供達に愛されています。

今回の訃報は本当に残念ですが、これからも矢島信男監督の作品は多く方に愛されていくと思います。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

まとめ

今回は「矢島信男の若い頃と現在の顔画像は?経歴・学歴と作品についても」と題しまして、矢島信男さんの若い頃と現在の顔画像や経歴・学歴と作品についてなど、気になるところをまとめて見ましたが、いかがでしたでしょうか。

特撮映画の先駆者として、数々の作品を生み出した矢島信男監督。

これからも作品は多くの方に愛され、生き続けてくれると思います。

ご冥福を心よりお祈りして、今回はここまでとさせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。